この記事の要点
プロ野球選手を夢見て10年間野球一筋だったものの、怪我で道を絶たれた隼人さん。その後、歌舞伎町でホストとして月収7万円のどん底からトップへ駆け上がり、ホストクラブ経営、福岡での起業、信頼していた仲間からの裏切りを経て、現在はウェブマーケティング会社GPJを率いる起業家です。「このままでいいのかな」と仕事や働き方に立ち止まっている方、キャリアチェンジを考えながら、勇気が出ない30代女性へ、挑戦が感動に変わる生き方と、自分の器を広げ続けるためのヒントをお届けします。
ベトナムでの取材日。柔らかい光のなかで、隼人さんはゆっくりと語り始めた。「ちょっと長くなりますよ」という前置きの通り、その人生は何度もゼロから始め直してきた軌跡そのものだった。
野球で挫折し、歌舞伎町でホームレスからトップホストへ。ホストクラブを5店舗・年商10億円規模まで育てたあと、30歳できっぱり水商売を引退。福岡で新たな挑戦を始め、信頼していた人物のクーデターで会社を失い、それでもまた立ち上がる——。何度もゼロから始め直す場面に立ちながら、なぜこの人は、何度も新しい景色を切り拓けるのだろう。話を聞きながら、ずっとそれを考えていた。
「このままでいいのかな」と立ち止まっている方、新しい一歩を踏み出したいけれど勇気が出ない方に、何度も人生をやり直してきた人だからこそ持っている言葉を届けたい。そんな思いで、隼人さんのお話をまとめました。
「すべてを失った」絶望からの再起。何もない状態で始める覚悟
野球10年、人生のすべてだったものが消えた日

小学3年生から大学入学まで、隼人さんの人生は野球一色だった。プロ野球選手になりたい——その一心で、野球だけに打ち込んできた10年間。大学の入学式前の合宿では、150人の部員のなかからいきなり1軍に抜擢されるほどの実力だったという。
けれど、その合宿で腰を痛めてしまう。もともとあったヘルニアが悪化し、同時に腰椎分離症も発症。立てなくなるほどの痛みに襲われ、合宿後にどの病院を回っても「手術しないと本気の野球は無理」と告げられた。しかも手術をしても、元の状態に戻るのに3年かかると言われたのだ。
「大学って4年じゃないですか。だからもうプロになれないなと思って。」
野球ができなければ退学。当時はそういう感じだった。入学式が終わってすぐ、隼人さんは大学を去ることになる。10年間信じてきたものが一瞬で消えた瞬間だった。その後の1ヶ月は、今思えばうつ状態だったと振り返る。携帯はずっとオフ。家族にも会いたくない。ご飯もまともに食べられない——人生のすべてを失ったような感覚のなかで、ただ部屋にこもっていた。
10年積み重ねたものが、怪我ひとつで崩れる。懸命にやってきた何かが突然奪われる経験は、形を変えて誰の人生にも訪れる。隼人さんの場合、それが18歳のときに訪れた。
どん底から「思い切ったことをやろう」と決めた日
「もう一回頑張ってみようかな」——そんなかすかな気持ちが芽生えたとき、隼人さんはネットで仕事を調べ始める。どんな仕事があるかすら知らなかった彼が偶然出会ったのが、当時カリスマホストとして話題だった城咲仁さんのバースデーイベントを特集した記事だった。「あ、すげえ」——その瞬間に走った素朴な衝撃が、次の一歩のきっかけになる。
「どうせだったら一番有名で一番レベルが高い店でやってみたい。」
カバン1個、所持金2,000円で歌舞伎町へ向かう。「寮に入れる」と書いてあったから行ったのに、定員いっぱいで入れなかった。でも、もう一度人生をやり直すと決めて家を出た以上、誰にも頼れない。実家にも、友達にも、「助けて」とは言わなかった。
選んだ場所は、大久保公園。3週間、そこで寝泊まりしながらホスト業をスタートさせる。出勤は15〜17時、終業は深夜1時。日払い1,000円でコンビニの300グラムのご飯とカップラーメンを買い、多目的トイレで毎日食べていたという。シャワーは伊勢丹や丸井の多目的トイレにある赤ちゃん用シャワー。お湯が出るからだった。警備員に怒られても「気持ち悪くて吐いてました」と言って、また別の階のトイレに移動する——そんな生活を送っていた。
最初の半年間の月収は7万円。それでも毎日街に立ち、女性に声をかけ続けた。
半年間売れなかった日々と、人生を変えた「奇跡の出会い」
一日何百人に声をかけた、半年間の積み重ね
ホスト人生の最初の半年、隼人さんはまったく売れなかった。それでも毎日街に立ち、女性に声をかけ続ける。
「一個だけ自信があるのは、僕何でもやったんですよ。売れるためのこと。」
人見知りだったという隼人さん。それでも「絶対ナンバーワンになる」と決めて、思いつくことを全部やった半年間。マッチングアプリのようなものを試し、街でラッパー(声かけ)を続け、できる限りのことを試していった。
「ならないと、なんか自分が変われない気がしたんで。」
「成功したい」よりも、「自分を変えるしかない」。その思いで、隼人さんは半年間、街に立ち続けた。
「奇跡」が起きた日。半年間の努力が、すべて報われた瞬間
ある日、いつものように街で声をかけた相手にブチギレられた。「私に何回声かけてるの?」——なんと10回目の声かけだったらしい。一日に何百人と声をかけているから、本人は覚えていなかった。「お前さ、店どこ?」と聞かれ、答えると、相手は「あー分かった」と言って去っていく。「絶対クレームが入る」——隼人さんはそう覚悟した。
数日後、その女性が突然、店に指名で現れる。半年間で指名は10本もなかったというから、相当な事件だった。覚悟を決めて、最低料金の響月(ボトル)と水割りで誠意を見せようとした隼人さんに、女性は静かにこう言った。
「私、そんな安いの飲めない」——そして注文したのは、10万円のシャンパン。その日、合計50万円を使ってくれた。

「十回も声かけてるもんなんで、なんか根性あるやつなんだろうなって思ってくれたらしいんですよ。」
ホスト経験が豊富だったその女性は、若い隼人さんを応援したくなったのだと、後から教えてくれたそうだ。「いきなり行くって言うと調子に乗ると思ったから、いきなり来た。出勤してなかったらもう縁がなかった」——そう言われたという。
22歳でホストを引退するまでの数年、その女性は毎月50〜100万円を使ってくれる常連となる。これが大きな自信につながり、一気にトップへ駆け上がっていった。
半年間ただ続けたことが、ある日突然、報われる。隼人さんの人生には、こうした「種まきの時間」が何度も登場する。報われない時期に何をしていたか——それが、報われたときの自分を作る。
5店舗・年商10億から、すべてを手放して始める勇気
26歳で経営者へ。「人としてかっこいいか」を問い続けた日々
22歳でホストを引退した隼人さんは、26歳でホストクラブを開業する。最初の出店は歌舞伎町ではなく川崎。ローカルゆえに、人生のどん底にいるような若者たちが集まってくる場所だった。
「この子たちの人生をやっぱり変えてあげないといけない。」
プレイヤーとして売上を作る側から、人を育てる側へ。自分のために走っていた人が、誰かのために走るようになる瞬間——隼人さんはそれが、自分の大きな転機だったと振り返る。
指導で大切にしていたのは、売上ではなく人間力だった。
「ホストでお金稼いでも寂しい思いするだけなんですよ、いつか。僕はそれ経験したんで、同じ経験してほしくない。」
プロである前に、人としてかっこいいかどうか。お金を稼ぐ方法を教えるのは比較的簡単だ。けれど、お金を稼いだ後に寂しくならない人間になるには、別の何かが必要だった。それが「人としてかっこいいか」という問い。一人ひとりと向き合いながら、隼人さんは5店舗・従業員100人・年商10億円規模の会社へと育てていった。
30歳ですべてを手放し、福岡へ。何もない場所で始める強さ
30歳で水商売を引退すると、最初から決めていた隼人さん。海外挑戦を考えていたが、コロナの影響でビザ取得が難しくなる。「今じゃないんだろうな」——そう判断し、行ったことのなかった福岡県へ移住することを決めた。キャリーバッグ1個で。
積み上げた5店舗を手放して、また何もない場所から始める。「ゼロベースからゼロイチを作るのが得意」と語る隼人さんにとって、新しい挑戦は失うものではなく、ワクワクするものだった。
ホテル暮らしから始めて交流会で友達を作り、レンタルルーム事業を立ち上げる。月額1万5千円でいつでも使える場所を提供したところ、ビジネスを学びたい人たちが集まってきた。半年で会員100人、1年で200人、月100件の交流会を開催し、2年で13店舗を展開——順風満帆だった。
けれど、代表取締役を任せた人物が半年後にクーデターを起こす。築き上げた会社を、一緒に走った仲間に裏切られる形で失うことになった。隼人さんが「人生で一番つらかった」と振り返るのが、この出来事だ。
5年来の仲間だった。「世界に一緒に行こう」と言っていた相手だった。挑戦できる環境を提供したくて作った会社で、その理念の真逆のことが起きた。野球を失ったときは「自分の問題」だったから諦めもついた。けれどクーデターは、信じていた人に裏切られるという、別の重さがあった。
「クーデターが起きたことが悔しかった。」
悔しさのなかで支えになったのは、かつて教わったある言葉だった。
器を広げ続ける生き方。「感動をいっぱいしなさい」という哲学
某世界的ホテル副社長から教わった「器」の話
隼人さんの人生を支えてきた言葉のひとつが、某世界的ホテル副社長から教わった「自分の器を大きくしなさい」というものだ。
「自分の器をデカくしないと、自分の器以上の人は集まってこないし、自分の器以上のお金も集まってこない。」
そして、器を大きくする方法を尋ねたときに返ってきた答えが——「感動をいっぱいしなさい」だった。
「嬉しいとか楽しいとか美味しいとか、この景色綺麗とか、あと悔しい、しんどい、苦しい、辛い。これも全部感動なんですね。でもこの経験をいっぱいした人ほど器はでかくなる。」
喜びだけでなく、悔しさや辛さも含めた喜怒哀楽すべてが器を広げる経験になる。この言葉は、つらい経験を「無駄だった」と切り捨てなくていいことを教えてくれる。野球を失った1ヶ月も、大久保公園での3週間も、半年売れなかった日々も、クーデターという裏切りも——全部が、隼人さんの器を広げる経験だった。
人生に何かが起きるたびに、私たちはつい「これは意味のあったことなのか」と問い直してしまう。その問いには、すぐには答えが出ない。けれど「感動」として受け取っておけば、いつか器が広がっていることに気づく日が来るのかもしれない。
Welcome in, Welcome out, Welcome back anytime
クーデターの時期、もうひとつ支えになった言葉がある。「Welcome in, Welcome out, Welcome back anytime」——来るもの拒まず、去るもの追わず、いつでも戻ってこい、という意味だ。これも器を教えてくれた人からの言葉だった。
「去る者もいると。でもそれはそいつの事情があったりとか、もしかしたら自分自身の器が足りないから去ってくんだと。けど、いつか我々が成功した時に、羨ましそうに陰から見てるやつもいる。表からは入ってこない。恥ずかしいし、気まずいじゃないですか。だから裏口を開けといてやれって意味ですね。」
普通なら、裏切った人を許せるはずがない。それでも「裏口を開けておく」と言える人になるには、相当の器が必要だ。「それを聞いていなかったら、クーデターで折れていたかもしれない」と、隼人さんは静かに語った。
人を恨み続ける人生と、裏口を開けたまま前に進む人生。選ぶのは自分だ。後者を選べる人が、もっと大きなものを引き寄せていくのかもしれない。
「挑戦」を「感動」に変える。30代女性へのメッセージ
まず大きな夢を持って、毎日できることを100%やる

「隼人さんみたいになりたい人は、何から始めればいい?」という問いに、隼人さんはこう答えてくれました。
「大きい夢とか目標を持つことって大事だと思うんですよ。なんですけど、まず自分ができることを毎日100パーやる。その毎日が1年後、2年後、3年後かわかんないですけど、その1年前に思い描いてた未来になってるんで。」
一歩であり、一生。今日できることを100%やる——これだけだ。積み重ねの先には、自分でも想像していなかった景色が待っている。
仕事や家庭、自分の時間のバランスに迷う30代女性にとって、「100%」という言葉はときに重い。けれど、ここで言う100%とは「他人と比べた100%」ではなく、「今日の自分にできる100%」のことだ。自分の置かれた状況のなかで、できる最大値を尽くす——それが続けば、確実に景色は変わっていく。
挑戦を、感動に変えていく
インタビューの最後、隼人さんは「挑戦してほしい」と語ってくれた。けれど少し考えてから、「もうちょっと深く言うなら」と続けた。「感動してほしい」——それが、隼人さんが本当に伝えたかった言葉だった。
「挑戦すればするほど自分のこと好きになってくし、本当に大事な人とも出会えると思うし、自分の人生って多分いい方向に行くんですよ。絶対。」
嬉しいことも、悔しいことも、しんどいことも、全部が感動。その一つひとつを味わうことが、自分の器を広げ、人生を動かしていく。
新しいカフェに行ってみる。前から気になっていた本を読む。久しぶりに連絡したかった人に連絡してみる。それもすべて、隼人さんの言う「感動」だ。嬉しいことも、悔しいことも、全部が自分の器を広げてくれる経験になる。そう思えたら、迷っている時間が、少し愛おしく感じられそうだ。
まとめ|毎日できることを100%やる、その先に見える景色
野球を失ったとき、ホームレスだった日々、信頼していた人に裏切られた瞬間。隼人さんの人生には、何度も足元が崩れるような場面があった。それでも毎回立ち上がってこられたのは、器を広げ続ける生き方と、毎日できることを100%やる積み重ねがあったから。そして「感動」として、すべての経験を抱きしめられる視点を持っていたから。
「嬉しいも、悔しいも、しんどいも、ぜんぶ感動。」
今日、あなたはいくつの感動に出会えるだろう。嬉しいことも、悔しいことも、全部が器を広げる経験になる。「このままでいいのかな」と迷うその時間さえも、きっと未来の景色をつくっていく。
INTERVIEW

福田 隼人
株式会社Growth Partners Japan 代表取締役
事業内容:ウェブマーケティング、コミュニティ運営、飲食店経営など 経歴:小学3年生から大学入学まで野球一筋。怪我で野球を断念し、18歳で歌舞伎町のホストへ。22歳でホスト引退、26歳でホストクラブを開業し5店舗・従業員100人・年商10億円規模に成長。30歳で水商売を引退し福岡へ移住、レンタルルーム事業から13店舗を展開。2024年1月に株式会社Growth Partners Japanを設立
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